2015年11月

2015年11月28日

合戦へ ~決戦 名張合戦~


信onには合戦というNPC武将戦の他、対人ができるコンテンツがある。ある意味真のエンドコンテンツといえるかもしれない。相手が人間だけに、また相手特化によって技能も変えなくては勝てず、例え覚醒を全て習得したとしても、戦いは終わらない。装備に付けられる対人向けの効果というのもあり、装備は常に新しくなっていく。
また大名という、どのクエストのボスより強力なラスボスも待ち構えている。

ソロや徒党でやれる範囲も多く、戦闘しなくても所属国に貢献でき、またちょっとした時間で参加できるコンテンツだ。


~2015年 初冬~ 信onの世界では、各地で合戦が行われていた。


私が所属する武田家は、現在伊賀忍者を相手に戦いを繰り広げている。名張合戦である。


武田は人数差を持って優位に戦いを進めているようだが、相手は一騎当千の



伊賀忍者たち。伊賀国となっているが甲賀忍者もいるかもしれないしNARUTOもいるかもしれない。熟練した忍者は単独で複数の相手を翻弄できるため、熱い戦いが行われていることだろう。


しかもマップ新マップでフィールド上で戦いが繰り広げられるとのこと。これは期待せずにいられない。


~閑話休題~

職業・特化紹介にて対人感想も記述していたが、覚醒の章になって立ち位置も変わってきたようだ。武芸は覚醒流派でウェイト1の強烈な攻撃ができるようになって、ソロの短期決戦ではかなり強くなった。なったと断言すると語弊があるので、正確に記すと



敵の武芸は強い。



ええ。傍目から見て自分も同じことをやってみると全然違う結果になるという、浮世のあれです。


また殺陣は物理・術必中と書いたが、ジャイアントスイングはふつーに投げた相手が敵にあたらずポテっと落っこっていた。これは忍法の空蝉が発動したのだろうか。何にせよ、投げられた挙句相手にあたらず、胴体から落ちてそのまま陣営に戻る味方を想像すると、胸が締め付けられる。泣きながら戻ってきているのではないだろうか。
嗚呼、罪なるかな殺陣!

12月の新技能も来るので、

職業・特化紹介 ~ 2015 Winter version を今後記載予定です。


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さて伊賀忍である。

伊賀忍の猛者と一戦交えるべく、できれば忍者と当たりたくないと思いつつ、伊賀忍相手に忍者相手嫌とかどうゆうことよと自分ツッコミ入れつつ合戦に赴いた。

合戦の模様は、言葉より写真のほうが効果があるだろう。以下写真を掲載してみるのでまだ合戦に行ったことはない初心者の方など、熾烈な合戦の一部を垣間見て頂きたい。




nog1


nog2



1



2


nog3


4




何コレ。。。




 
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snow454 at 12:27|PermalinkComments(0)信on 

2015年11月27日

精進のススメ ~新規・復帰者向け~



中級クエをクリアすると、以後どこに行けばよいかという案内もなくなってしまう。これは初めてだとちょっと困るのではないだろうか。一門に加入していれば色々教えてはくれるし、続・中級クエが所属勢力の城下町入口付近にいる”ゆり”から受けられるので、次に徒党を組んでこれらに挑戦するのも一つの目安だが、問題は装備だ。


今までのコンテンツでは助力もあり、古いコンテンツなので、装備は支給品で十分だったが、中級クエをクリアした段階では。少しずつ性能に物足りなくなってきてやだ、こんなの着てらんない!となる年頃でもある。



市場を見てみると、装備品によっては良品も手頃な価格で販売されているので、お守りや特殊装備など、宝玉入れずにそのまま使える装備品は市場で調達しつつ、装備を新調していくことになる。


ただ装備品は付与石、(頭と胴体装備に付与できる神秘石)を用意することでスペックを大幅に向上できるのだが、この石の値段が高い。よって装備を新調する前段階として 道場クエを達成していくと溜まる”道場勲札”と交換できる、精進アイテムを利用するのも一つの手だ。



交換法方法は道場にいる”道場水納係”に話すと、いくつかメニューが選択されるので、その中の”道具や材料と交換する” - "精進の心"を見てみると、


装備品+生命宝玉6+70の相当の石付与(袋除く)2015.12.02修正


を入れることができる。

他にも有用なアイテムや家具、宝玉とかにも交換でき、また以前より交換アイテムが増えていることもあるので、復帰の方も一度見てみるといいかもしれない。


道場勲札8000貯めると”分霊の依代”と交換でき、護符として自身の軍神を装備できるが、如何せん軍神を最高ランクまで上げなくてはならず、かなりの時間とお金もかかる。


よって”分霊の依代”はゆくゆくの目標として、まずは装備を調達してしまおう。頭装備と胴装備は神秘石を入れられるが、武器は付与石が必要なので、最初は武器を選べば、付与石を買わなくても済む。



no1
道場出納係。ただでは渡さんといった気構えがひしひしと伝わる




no2

no5



 自分の”道場勲札”がどれだけ溜まったかは メニュー1 - 情報 - 功績 で確認できるので、一度確認してみては如何でしょう。


引き続き戦国の世をお楽しみください。


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2015年11月23日

一門加入へ 


復帰後はしばらく目新しくなった世界で遊んでいたが、育成しやすくなっている事と、装備やステータスをあげられる神秘石というアイテムが、大分安くなっている事に驚いた。またサーバも一つになっていて募集等は集まりやすくなっている感じはした。


そして安土でうろうろしていたら、今の一門に声をかけられ、新選組一門として再スタートすることになった。


思うにネトゲの面白さは大別して

・自分のキャラクターが少しずつ強くなれる育成の楽しさと、他プレイヤーとの差別化
・仲間との活動

があるのではないだろうか。
例え7垢の自己完結プレイヤーでも、合戦場のコンテンツでは一人で戦えず、いろいろな人のサポートや協力があって活躍できると思う。


この一門は初心者、復帰の方が多いので、エンドコンテンツに参加できる人たちはそう多くないが、それでも既存コンテンツで遊べる設計は、流石に10年以上続いてきた老舗のMORPGである。


on2
強敵 関ケ原の真田幸村に挑まんとする一門達。戦闘前の緊迫の一瞬



そんな仲間たちのプレイ日記 or 週記を綴ってまいります。



~長すぎるプロローグ完~



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snow454 at 10:15|PermalinkComments(4)信on 

2015年11月16日

顧みられないクエスト ~柳生松右衛門~



戦国期にはちょっとした剣術ブームがあった。これは剣術に限らず、槍術、棒術、体術、小太刀、居合、など様々な武器や格闘術を含み、実践的な戦闘方の他、思想的にも仏教、特に禅などの教えを取り入れ、この道を究めんと多くの者が修行や修練に明け暮れていた。しかし多くは道半ばに倒れ、後世に名が残るのはほんの一部、雲海から少しだけ垣間見える山の高峰の如き人々だけであった。



それら名のある人々の中でも剣聖とも称えられる上泉伊勢守信綱。彼が上洛途中に立ち寄った柳生の荘にて、柳生宗厳に出会い、一国一人の印可を授けるにいたったのが柳生新陰流の誕生となる。当時既に機内随一の評判が高かった柳生宗厳だったので、気負い立って試合を申し込んだが秀綱はおろか弟子の疋田景兼に手もなくやられ、茫然自失となったといわれる。


剣聖と言われながら謎の多い上泉信綱だが、一つ有名なエピソードがある。ある家屋に盗賊が子供を盾に立て籠もり、誰も手が出せずにいたところ、信綱が立ち寄り、その場で髪を剃り落とし、出家の身と偽り賊を油断させ、取り押さえ子供を救出した、というものだ。

これは恐らく日本映画で最も高い評価を受けている”七人の侍”にも冒頭の部分で盛り込まれていた。(イギリスでは国の内外含めた映画の評価でトップに選ばれている)



宗厳は柳生新陰流といった名称の流派を立てたわけではなく、正当な新陰流を受けついただのだが、宗厳の五男・宗矩が徳川将軍家の兵法指南役として江戸に招かれた流れと宗厳の 孫・兵庫助利厳が 尾張徳川家に兵法指南役として招かれた流れの、二つに分かれることになり、 それぞれ江戸柳生、尾張柳生として発展していった。
2


柳生松右衛門は宗厳の高弟で、新陰流印可を授かる際に、柳生姓を名乗ることを許され長州の毛利萩藩に兵法指南役として招致され、ここに西国における 柳生新影流の道が開かれ、その剣の道は現在もなお脈々とその流れを受け継いでいる。





「ご趣味は..」と聞かれた際
「柳生新陰流を少々...」とか一度でいいから言ってみたい。



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snow454 at 18:26|PermalinkComments(0)

2015年11月06日

顧みられないクエスト ~土屋惣蔵~


武田家所属のプレイヤーであれば、戦に出ていない家中の人々に話したとき、この話を聞いた人も多いかもしれない。


1575年の長篠の敗北から国力が尽きてきたイメージのある武田家だが、実際は連年に渡り他国、主に徳川領に攻め込んだりと、積極的な活動を続けていた。しかしこれは弱っている身体に無理に運動させ、かえって自滅をはやめてしまった感が強い。


1583年、織田、徳川、北条と三方から攻め立てられた武田家当主、武田勝頼は防ぎきれず、ついに家臣の小山田信茂の居城に落ち延びたが、途中小山田の謀反にあい、かくして武田家は天目山にて滅亡の憂き目にあう。

数日前は数万騎を擁していた武田家が、最後の日には、勝頼の周りに数十騎ほどしかいなかったという。


その数少ない家臣の中に、写真の土屋昌次が誇る弟 昌恒(惣蔵)がいた。

no1106


主君の最後の時を稼ぐべく、道幅が狭まった岸壁という地形を利用して、多数の敵を防ぎ、その際、下に落ちないよう蔓を片手で掴んで敵を切り倒していったことから、後世、片手切りの惣蔵とも言われた。





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